007.事情


 
 仕事で逢えないくらい、どうって事はない。
 メールの返信が来なくても、我慢出来る。
 ……だけど。
「いや、あのクラウド……これはつまり」
 たまたま通りがかった本社の休憩室で。
 彼の胸で泣いている女性。そして、彼女の肩を抱いている彼を見つけた時は流石に言葉をなくした。 
 一見しただけでは「修羅場」としか受け取れない状況が、目の前にある。クラウドはあわてふためくザックスを尻目に休憩室を後にした。
 今のは……何だ?
「クラウド!」
 追い縋るザックスとクラウドの背中の間で、エレベーターのドアは閉まった。
 気が付くと息が上がっている自分に気付く。胸元に手を押し当てて、もう一度今見た事を忠実に思い返す。
 誰もいない休憩室。顔までは見えなかったがおそらくは社員の誰かであろう女性。寄り添うザックス。クラウドはそこで思考を止めた。
 考えたくなかった。どんな事情があろうとも、自分の居ない所で女性と二人きりになっているザックスを想像したくない。
 しかも相手は泣いていた。
 クラウドは青ざめたまま頭を振って、ともすれば嫌な方向に流れる思考を思い留めた。
 怖い。
 エレベーターが一階に辿り着いた。ドアが開いた瞬間、嫌な予感がした。
「いた、クラウド!」
 ビクっと慄くと、おそらくは階段で追いかけてきたであろうザックスは狭いエレベーターの中に押し入った。逃げ場を失って、壁にぴったり張り付くとザックスはドアの開閉ボタンを押した。
「……なんだよ、ザックス」
 それは自分でも驚くほど冷たい声音だった。ザックスはガンっと壁に拳を叩きつける。
「何か、誤解してるだろ」
「してないよ。……別に、ザックスが何処で誰と何をしていようと関係ないし」
「それ、本気で云ってるのか?」
 クラウドはザックスを直視できない。
「じゃ、なんで逃げたんだよ」
「なんでって……そりゃあんな場面に出くわしたら、いたらいけないって思うだろ」
「じゃ、なんで泣きそうな顔してるんだよ」
 俯いた前髪に触れるか触れないの距離で、ザックスが囁く。泣きそう? そんなはずはない。
「……だって俺には、怒る権利なんてない」
 クラウドが消え入りそうな声で呟く。
 自分がショックを受けた事よりも、その事でザックスに悲しい顔をさせるほど、自分は彼を縛り付けたくない。
 いつも自惚れる。ザックスは自分だけを見てくれていると。
 そして痛い目を見る。だから傷つかないように、彼の事を信じたりしないようにと。
 彼を繋ぎ止めておけるほど、自分の存在はちっぽけでしかないのだから。
 少しでもザックスの負担にならないように、ただ、そこにいるだけでいいような存在でいい。
「……俺としては、少し傷つくんだけど」
「なんでザックスが傷つくんだよ?」
「嫉妬でもしてくれないとさ……俺、そんなにクラウドに信用ないのかって思うだろ」
「だって、あんなところ見て……どうしろっていうんだよ!」
 嫉妬なんか出来ない。
 ザックスが女性と一緒にいたって、それが普通なのだから。
 クラウドが俯くと、ザックスはがりがりと頭を掻いてみせた。
「あれは……友達の彼女でさ。なんか上手くいってなかったみたいで、元気付けたらこう……あぁなってだな」
「そんな言い訳するのおかしいよ。俺は気にしてない」
「クラウド!」
 ……どんな事情があっても知らない。
 目を閉じて耳を塞いでしまえば、怖くない。
「……少しは怒ってくれよ。でないと、謝れないだろ」
 ふわ、っと真綿で優しく包み込むように、ザックスがクラウドを抱き締めた。押し殺していた感情が表に出そうだった。
「……本当に悪い事したって、思ってるの?」
 徐々に目が潤んでいくのが解る。何とか堪えながらザックスの背中を軽く叩いた。
「ごめん」
「……先に謝られたら、怒れないよ」
「でも、クラウドを傷つけた。ごめん」
 優しい腕の中。きっとあの女の人も、同じように慰めたのだろう。
 解っているのに突き放せない。
 卑怯だ。クラウドはきゅっと背中にしがみついた。
「本当に、怒ってないから」
「……わかった。クラウドがそういうなら信じる」
「うん」
 ──信じないよ。
 この腕が俺だけのものなんて。
 誰にでも優しいザックス。けれど一番残酷な男。
 クラウドは息を殺して一粒だけ涙を零した。エレベーターががくんと止まって、二人はあわてて離れざるをえなかった。乗り込んできた他の社員に背中を向けて、クラウドはようやく涙を飲み込んだ。ほんの少し距離の離れたところにいるザックスを遠くに感じながら、エレベーターが次に止まるのを待っていた。



     END