005.サクラ
陽だまりの午後。眠気を誘うような日差しの中。配達が終わりエッジに続く街道を走っていたクラウドは、ふと風に乗る香りにフェンリルを止め周囲を見回した。頭上にある切り立った崖に一本だけ、季節はずれに花を咲かせた木が生えているのを認め、思わず溜息を吐き出した。
ゴーグルを外して、そっと手を伸ばす。ひらひらと宙を舞う花弁は薄く色付いて、地面の色を変えていた。
桜。
まだ冬だというのに、その木だけは生命を燃やすかのように力強く聳え立っている。降り注ぐ花びらはクラウドの掌をすり抜けて、逃げるように堕ちていく。
「狂い咲き、か……」
季節を間違えて咲く花をそう呼ぶのだと、遠い昔に聞いた事を思い出した。
肩に落ちた花びらを摘んで、クラウドは遠い記憶を呼び覚ます。
──あれは、いつの事だったろうか。
記憶に桜はない。ニブルヘイムでは咲かない花だったし、故郷を飛び出してからも見たことは無かった。
ただ、『彼』が見せてくれたアルバムに写っていたそれを、憧れるように見たのを覚えている。
それが何なのか尋ねたら、ザックスは実に不思議そうに目を瞬かせて、クラウドを見返した。
「何って……桜だよ、桜」
「サクラ?」
「あー、クラウドは知らないんだ。キレイだぜ、春先に咲くんだ。それはもう、満開でさ」
バーっと両手を振り上げて、その規模を表現する。クラウドはよくわからない顔で首をかしげた。
「それって、ゴンガガで咲くのか?」
「いや、多分何処にでもあると思うぞ? ミッドガルは無理だろうけど」
「……ふーん」
花に興味はない。けれどザックスは興奮した様子で「いかに桜が美しいか」を力説する。
「春には『花見』してさー、酒が飲めるんだ!」
「……ザックスは未成年じゃないか」
「その時だけはトクベツ。バーベキューしたりな。皆で桜の下に集まって、お祭り騒ぎさ」
「それって、何が楽しいの」
「花を愛でたりだな……いいんだよ、細かい事は。楽しければ」
とはいえ、クラウドにはいまいち『花見』という文化が理解できない。ガーデニングとどう違うのか。ザックスはふるふると拳を震わせた。
「あーもう! クラウドに見せてやりたいなー!」
「いいよ別に……」
「よくない! 俺は、クラウドに俺と同じものを見て、同じように感動してもらいたいわけ」
勝手な云い分だな、とクラウドはチラッと思った。
けれど、その気持ちも少しは解るから、苦笑してみせた。
「よし! 春になったら花見に行こう。な!」
「なんでそんなに花見にこだわるんだ……?」
「約束。ホラ!」
小指を出して催促する。クラウドは渋々同じように小指を差し出した。
絡まる小指。
……約束。
きっと果たされる事はないだろうけど。
「ザックスが花好きだとは知らなかったな」
「ん? 花なんてどうでもいいよ」
「は?」
「クラウドと一緒に何かするのが、好きなんだ」
どうしてそんな恥ずかしい事を平気で云えるのだろう。クラウドが赤面して頬を膨らませてると、ザックスは屈託なく笑ってみせた。
「……俺も、花には興味ないけど」
色褪せたアルバムに指先を這わせる。
「ザックスとなら、見たいな」
満開の桜の下。ザックスはどんな顔で笑っているだろう。
そして、自分も。
悪戯っぽく微笑むクラウドの頭をわしゃくしゃと掻き混ぜて、ザックスはにやりと笑った。その掌が妙に愛おしくて、クラウドはくすぐったい気持ちでザックスを見返した。
胸に募る小さな約束たち。クラウドはそっと心臓の辺りをきゅっと掴んでみせた。
きっとザックスは覚えていないだろうその果たされなかった約束を、決して忘れたりしない。涙に流したりはしない。
ただ、記憶が綴る。
ザックスとの思い出を。
風が吹き荒れる。花弁舞う向こう側に、懐かしい顔が見えた気がした。春はまだ遠い。クラウドはゴーグルを掛け直すと颯爽とバイクに跨り、頭上を振り返ることなく走り去った。
END