【Call me…】



 しんとした空気。クラウドは自室の扉に手を触れさせて、彼の不在を悟る。静まり返った廊下は、時刻がとうに深夜と呼べる時間帯に入った事を知らせる。行きがかり、書類の整理を頼まれ残業していた。
 ザックスが旅立ってどれくらいになるか、すぐに思い出せなかった。『今日には帰るだろう』……そんな希望も、いつしか抱かなくなった。期待するだけ落胆も大きい。それなら何も望まなければいい。クラウドはカードキーをスライドさせる。
 明かりはつけずに、手付かずのキッチンを通り過ぎる。洗い物をする気にならず、荷物を床に放ってリビングに向かう。西側を向く窓に銀の月が映り込む。ソファに背を預け、だらしなく両足を投げ出した。
 連絡らしきものは別れた日にメールが一通。クラウドは痛みを訴えるこめかみを押さえた。
 鞄の中に無造作に突っ込んでいた携帯電話を取り出す。
 自分からコールする勇気は、まだない。
「……まだ、仕事かな」
 戦場でのザックス。ソルジャー・クラス1st。思い返して目を閉じる。──揺るがない剣さばき。敵を一閃する、大剣。
 多くの兵士たちの憧憬の象徴。
 クラウドは嘆息する。
 ──逢いたい、なんて云えない。死地に向かう、その背中が一番格好いいと思うから。
 そして、約束を胸に帰ってくる。
 そんなザックスだから、信じられる。独りでも、待つ事が出来るのだ。
「……ザックス」
 名を、呼ぶ。
 掌の中の携帯電話は熱を持たず、誰かに繋がる気配もない。胸元に置いて祈るように握り締めた。
 目を閉じれば浮かんでくる、ザックスの屈託ない微笑み。声。触れてくる指先。──重なる、吐息。クラウドは乾いた唇をそっと撫でた。蘇る、行為の名残り。最中に、見境なくキスを与えるザックスの情熱を思い出す。唇から首筋を辿り、鎖骨を降りて胸元に。
 そこまで思い出して赤面する。何を考えた? クラウドは息が少し乱れている事を自覚する。行為の最中を反芻するなんて。自分が酷く汚いものになったかのように錯覚する。厭らしい。
 禁欲、といえば聞こえはいいが、自分を慰める事なくただ待つだけの日々。クラウドは息を呑む。
 ──俺をこんな風にして。
 独りでいられなくなるように仕込んで。
「っ……」
 恐る恐る服の上から自身を触ってみる。腫れ物を扱うように。事実、そこは想像以上に硬く張り詰めていた。想像しただけで。
 そっと目を閉じて、目蓋の裏に映るザックスの責めるような眼差しを思い浮かべる。指の動きをトレースして、なぞる。
「ザッ……クス、ぅ……」
 名前を呼んでも応える声はない。
 それでも、花芯は疼いて止まらない。
 恥ずかしい事をしていると頭では解っていても、欲が収まらない。もどかしくて、直に触ろうと下着をずらす。ひやりとした空気に晒されたソコは、熱を持って天に向かってそそり立っていた。
 その刹那。
「……!」
 掌の中の携帯がメロディを奏でた。ズボンを下ろした間抜けな格好で、クラウドは相手が誰かも確認せず通話ボタンを押す。
『もしもし……』
「ザ、ザックス……!」
 ノイズ交じりに聴こえる息遣いは、間違えようもなくザックスだった。一気に紅潮して、誰に見られているわけでもないがあわてて身を縮込ませた。
「な、なに……」
『ごめん、寝てた……?』
 あくまで小声で、尋ねる。
「まだ寝てない。ザックス……は?」
『仕事、終わった。今日はこっちに泊まるけど。明日には……帰れるから』
 見透かしたように、ザックスは欲しい言葉をくれる。
『だから、待ってて』
 この現状を見ていたかのように、的確に。
「わかってる……」
 下着を手繰り寄せて、クラウドは上擦った声で答える。知られてはいけない。一人でしようとしていた事を。
『どうしても声が聴きたくて、さ。夜遅くにごめんな』
「気にしてない」
『……どうしても我慢出来なかったんだ。夜中に、お前の夢を見て……飛び起きたり』
 その言葉に、どうしてもときめいてしまう。クラウドは小さく頷いた。
『クラウド……今すぐ抱き締めたい』
「うん……」
『逢いたい』
 ザックスは、どうしてそんなに綺麗な気持ちをくれるのだろう。素直に、逢いたいと云えるのだろう。
 一方の自分は、性的に追い詰められていたのに。
 ふっと息をついて、クラウドは自分の未熟さを思い知る。ザックスには敵わない。
『……クラウド』
 不意に囁かれて、肩を震わせる。ザックスの、低い声。胸に当てた心臓の打つ音が早くなる。
 痛い。
「なに……?」
 耳元で、呼ぶ声。高ぶった花芯が再び欲望に首をもたげる。クラウドは思わず自身を掴んでしまった。
『もっと、声聴かせて。クラウドの声が聴きたいんだ』
「そんなこと、云われても……」
 掠れた吐息で答える。この動揺が伝わらないように、必死で携帯を握り込む。
『俺の名前、呼んで』
「……ザックス」
 すがるように。今、求めているのはザックスなんだと、呼びかける。
「ザックス……っ、ザックス……」
 泣きたい気持ちに似た、切ない感情。込み上げてくる。抑え込もうとして、背中を丸めた。
『早く帰りたいな。いろいろ……したい』
「な、んだよ、いろいろって……!」
『……髪にキスしたり、手を握ったり、抱っこしたり……』
「詳細に云うな! 恥ずかしいだろ……」
『嘘。クラウドだってされたいくせに』
 図星。クラウドは言葉に詰まった。
『もちろん、いやらしいキスとか……触ったり、舐めたり』
「ど、どこを……」
『決まってるだろ……? クラウドの……感じるトコロをさ』
 ぞくん、と背筋を駆け抜けていく衝動。
『……想像した?』
「馬鹿……! 変な事云うなよ……」
『したいな。……しようよ』
 そういって、受話器から聴こえたのは小さな口付けの音。抗えない、魔法のような。クラウドは鼻先を掠めるザックスの姿を見た気がした。唇が、何かを感じてじんと響く。
「ザックス……」
 今、受話器の向こうのザックスがどんな様子か、想像がつく。興奮を誘う息遣い。こんなに長い間触れられなくて、耐えられるはずないんだ。
 何故、今お前はここにいないんだ?
『キス、好きだろ?』
「……うん」
『いっぱいしてやるよ。何処がいい? 耳? 頬?……首筋?』
 ザックスが言葉にすると、そこがじんと痺れる。感触が鮮明に蘇る。度にクラウドは肩を震わせる。
「意地悪……」
『感じてるくせに。想像して? 俺が、キスしてるの』
 想像しなくても、嫌でも皮膚が記憶している。
「ん……っ」
『今、お腹のとこ、キスした』
「や、馬鹿……」
『脚閉じないで。……太腿、キスした。次は、何処だか解るだろう?』
 これ以上はダメだ。そう云おうとクラウドは息を吸い込んだ。……だけど。
 それより先に、指先が自身を撫でていた。反射的に握り込んで、息を吐き出す。
「ん……っ」
 いけない事だと頭の隅では解っている。しかし期待に満ちた身体は奥底から疼いて止まらない。
『……やばい、クラウド。その声……我慢出来ない』
 いいよ。クラウドは心で想う。電波を通して伝わる熱でもあるのだろうか。次第に昂ぶる身体が求める事を止められない。
「ザッ……クス」
『クラウド……』
 途切れがちになる、ザックスの吐息。きっとクラウドを想って、同じように一人でしている。クラウドはゆっくりと、だけど確実に自身を擦り上げる。溢れる蜜をそのままに、ザックスの指の動きを真似て扱く。遅く、早く。焦らすように、逸るように緩急をつけて刺激する。先端を拭うとぬるりとした先走りに親指が汚れる。けれど気にしない。
 ただ、ザックスを想って。
「ん……、ハ、……っ、ん……」
『……ふ、ん……っ』
 いつもより声が近い所為か、ザックスが感じているのが直接耳で解る。ザックスでもこんな声を上げるのかと、クラウドは少し嬉しくなる。それが自分の身体を通してではないのは、残念だが。
「あ、……ん、ザックス……」
 硬くなった花芯を懸命に扱き上げる。携帯を持つ手が汗に濡れている。それでも、甘い声をわざと聴かせるように激しく、息を荒げる。
『……クラ、ウド』
「は、ふ……、ザックス……ぅ!」
 瞬間、這い登ってきた快感に翻弄され、上下に動かす手を止めた。ドクン、と脈打って、指の隙間から白い液体が大量に零れ落ちた。後から後から垂れてきては、太腿を汚す。
 ザックスも一息ついて、ほぼ同時に達したと見える。クラウドはソファに勢い良く沈み込んで、溜息を吐き出した。
 後に残るのは背徳感と罪悪感。
『……俺たち、ホント馬鹿だよな』
「!……」
 反論出来ないところが悲しい。クラウドは汗を拭い捨てると、手近にあったタオルで自身を拭いた。考えてみればソファでこんな事して、後始末が大変だ。
『……うん、でも……ちょっといいよな。こういうの』
「何がいいんだよ……」
『興奮しただろ?』
「……馬鹿」
『それとは別にさ、……繋がってる感じ、したから』 
 繋がっている。物理的な距離なんて関係なく。クラウドは罵声を浴びせようとしたが、寸前で言葉を飲み込んだ。
「……そうだな」
 それが絆のようで、歯がゆくも嬉しい。つい煽られて乗ってしまったが、溜まっていたのは事実で、ザックスで抜いた事は本当だから。
『あー、早く本物のクラウドに逢いたい。妄想だけじゃなくてさ』
「妄想って……ザックス、まさか普段からこんな風に一人で……」
『してるよ! 健全な男子を舐めるなよ!』
 どう突っ込もうか迷って、あえて聞き流してみた。
 だけど、妄想の中の自分より本物の方がいいと、想ってくれているのが伝わるから。
 少しだけ怒って、それで留めた。
『明日には絶対帰るから』
「うん。待ってる」
『それまで、我慢してろよ! 浮気なんてするなよ』
「しないよ」
 一人でするより、二人でする方が気持ちいい事を知っているから。
 もっと深く繋がれる事を知っているから。
 だから、待っている。
『おやすみ、クラウド』
「……おやすみ」
 まだ、お前が俺の名前を呼んでいるのを知ったから。
 俺がお前の名前を呼んでいるから。
 一瞬で繋がれる力を持っている。クラウドは通話の切れた携帯を寂しげに見つめ、息をつく。そして今の自分の状況を思い出してあわてて風呂場に駆け込む。
 馬鹿でもいい。ザックスのくれる甘い疼きを覚えている限りは。
「……ザックス」
 今日もいい夢が見れそうだ。明日は少し早めに帰宅して、食事の用意もして。そんな風に考えながら、一日の終わりが近付いていた。




   END
UP:2007-12-02