【アシンメトリー】



 きっと ぼくらの明日なんて 始まりも終わりもなく
 
 
 
 
 ──たった一人を想って、眠れない夜があるなんて知らなかった。
 ザックスは傍らで小さな寝息を立てるクラウドの額を撫でる。まっすぐな金の髪。クラウドそのものを現しているみたいだ。小さく呻いて、彼は寝返りを打った。きっと慣れない任務で疲れているのだろう。起こさないようにそっと立ち上がって、天を仰ぐ。
 月のない夜。しんとした空気。今は作戦中で、野宿中だった。点々と灯る焚き火が、かろうじて夜の帳を消し去ってくれる。数人の兵士と共に眠るクラウドは、何処か幼く見えた。
「寝ないんですか、ザックスさん」
「あぁ、ちょっと散歩してくる。何かあったら呼んでくれ」
 一時の安らぎ。ザックスは見張りの兵士に声を掛けて、少し離れた鬱蒼とした森の中を歩く。
 ザックスの存在を塗り潰してしまうような、闇。世界の終わりとは、こんな感じだろうか?
 ……いや。終わりに果てなどない。自分はまだ立っていて、ここにいる。
 風が強い。雲が千切れて気配を隠した月が顔を出した。湿った土の匂い。さく、と軽い音を立て、ブーツの下で折れた雑草が啼いた。 
「……眠れるわけないだろ」
 一際幹の太い一本の樹に手をついて、大仰に溜息を吐き出す。
 無防備に眠る。──その寝顔をずっと見ていたい、なんて。
 どうかしてる。
「落ち着け、俺……」
 ざわざわと心が躍る。頭上で揺れる葉擦れの音に似ている。鼓動。生命を運ぶ、音。
 今は任務中で、敵がいつ現れるかもわからない。兵士たちは落ち着いているが、それがいつ覆されるか知れない。
 なのに、一番動揺しているのが自分だと、悟られる訳にいかない。
 幹にごつんと頭を打ち付ける。頬が赤くなっているのが、グローブ越しに伝わる。
 ほんの少し、逢えなかっただけで。こんなにもココロが呼んでいる。
 ……クラウドを。
「……可愛かったな」
 天使の梯子のように、そこだけ光が差し込んだように。ただ眠る君を、愛しく思えてしまえるなんて。
 人は恋をすると、こんなにも馬鹿になってしまえるものだろうか。
 馬鹿なのは、とうに知っているのだが。ザックスは邪な思念を追い払うようにかぶりを振る。そうじゃなくて。
 触れたい、なんて。
 抱き締めたい、なんて。
 きっとクラウドは知らない。こんな気持ちを持って接しているなんて。
「云えるわけないだろ」
 独りごちて、ザックスはその場にずるずるとしゃがみ込んでしまった。制服が土に汚れても気にしない。目の前の樹に縋りついて、俯く。
 云えない。
 ──好き、だなんて。
「ザックス?」
 不意に声を掛けられる。ビクっと仰け反ってそのまま仰向けに倒れ込んでしまう。後頭部に石があって、見事にヒットした。痛みに頭を抱えると、覗き込む影がある。
「クラウドっ?」
「……大丈夫か?」
「平気へいき、頭固いから」
 涙声で返す。小さく噴き出すとクラウドは、声を上げて笑う。ザックスは間抜けな姿のまま、苦笑するしかなかった。
「なんだよ……そんなに笑うなよ」
「ごめん。そんなに驚くとは思わなくってさ。……ザックスは寝ないの?」
「……まぁ、ちょっとな」
 呆けた頭にはちょうど良い刺激だ。ザックスは尚も笑いを収めようとしないクラウドを見上げて、頭を掻いた。
「クラウドこそ、寝てたんじゃなかったのか?」
「うん……ザックスがこっちの方に来たの、見えたから」
「悪い。起こしちまったか?」
「いや、いいんだ」
 ザックスは立ち上がって土を払う。気まずそうに見返すザックスを、クラウドは軽く受け流す。……まさか、さっきの痴態を見られてはいなかっただろうか。複雑な思いでザックスはこほんと咳払いしてみせた。
「……戻るか」
「いや、……少し、歩かないか?」
 そういってクラウドが一歩前に出る。否応もなく、ザックスは後を追ってクラウドの横に並んだ。
 小枝を踏む。ぬかるみに足を捕らわれる。けれど、気にすることなく。
 ザックスは気恥ずかしそうに顔を背ける。意識しすぎだと、我ながら思う。だけど、思考が追いついていかない。
 すぐ横に、手の届きそうなほど近くに彼がいる。
 寝ている隙に触れた額を思い出す。あの、髪に。白い肌に。
「……クラウド」
「ザックス、見て」
 遮るように、クラウドが走り出した。向かう先には森の切れ目があり、小さな湖が眼前に現れた。微風に水面を揺らめかせながら、あの月を照らし出している。隠れることなく光を零す、月。
「……きれいだ」
 透き通る水。月の淡い光に浮かび上がるシルエット。クラウドが天を仰ぎ、両手を伸ばす。
 何かを求めるように。
「……っ」
 こんなに傍にいるのに。ザックスは唇を噛み締める。
 この邪で淫らな感情を、彼は知ることはない。何故なら。
 それは禁句だ。
 云ってはいけない、ココロを縛る呪文だ。
「あのさ、ザックス」
 振り返り、クラウドが金糸を左右に揺らした。
「……云おうと、思ってたんだけど」
「な、なに?」
「今回の任務……ザックスと一緒でよかった。俺、失敗ばかりだから……ザックスがいると、心強い。頼っちゃいけないって、解ってるけど」
 クラウドはまっすぐに、直視できないほど真摯に見つめ返してくる。その眼差しが、己の欲望を見透かしているようで、怖い。
 そんなこと云うなよ。ザックスは直前で言葉を飲み込む。
 暴かれる。浅ましく、醜いこのココロ。彼は純粋で、穢れなき存在。揺るがない、瞳。夜の闇を浄化する、月。どれも痛くて、眩しくて。
 ザックスは眩暈を覚える。
「ザックスがいるから、がんばれるんだ」
 柔らかく微笑む。ザックスの心を射抜くには充分すぎるほど、屈託なく。
「俺だって……!」
 思わずその肩を掴む。衝動的に。
 気付いたときには遅かった。身を乗り出したまま固まったザックスの頭は、混乱を極める。
 見つめ合う、5秒間。
「……ザックス?」
 ──云えない。言葉が、出ない。
 悟られてはいけない。顔に出してもいけない。
 それが、『トモダチ』の距離。
「……任務、がんばろうな」
 かろうじて搾り出した言葉は陳腐で。ザックスは突き飛ばすようにクラウドから離れた。クラウドは、あぁ、とうなづいて拳を握り締めた。
 静寂。ザックスの胸の鼓動だけが、反して高く鳴り響いている。胸元を押さえ込んで、クラウドから目を逸らす。黄金の月の光が溢れて、クラウドを深い闇の中から浮かび上がらせる。
 きっと、天使だ。
 穢れたこの感情を拭い去ってくれる、おまえは。
「ザックス」
「……なんだよ」
「俺は、大丈夫だから」
 クラウドが云う。
「眠れないで、独りでいるなよ。……俺は、いつでも傍にいるから」
 ザックスが赤面して仰け反ったのと、言葉だけ残してクラウドが去るのは同時だった。その場に尻餅をついて、反芻する。どこでそんな殺し文句を覚えてきたのか。ザックスは口元が緩むのを抑えられない。
 どこまで好きになれば気が済むのだろう。クラウドは、俺から何もかも奪っていく。
 反射する水鏡の世界。
 抜け出す方法は、クラウドが知っている。
「……好きだ」
 ──ココロのどこかに歪なハートが眠っていて。
 満たされた状態が100%だとして、ザックスが持っている分は80%くらいだろうか。二人で分かち合う『愛』の比率。残りはクラウドが持っている。
 だけど完全にはハートにならない。アシンメトリー。想いの深さか、それとも。
 それでも、君もそれを持っているのならば。
 いつかは、完成されたハートになるかもしれない。
「がんばるからな!」
 片手を振り上げて、空に誓う。月光が降り注ぐこの遠い空の下で、二人ともまだ結末を知らない。この、幼すぎる恋の行方を。




   END
UP:2007-11-02